元町ゆかりあれこれ

大正活動映画撮影所

■本町通りに面した場所に本社があったのが、「大正活動映画撮影所」です。1920年(大正9年)4月、東洋汽船社長で浅野財閥総帥浅野総一郎の次男、浅野良三氏が、神奈川県横浜市に設立したことから、元町との関係が始まりました。本社は山下町31番地で、現在の中区元町1丁目31番地でした。現在の「元町通り」に面していたわけです。

■「大正活動映画撮影所は、元町通りに垂直な路地を「ジェラールの水屋敷」(現在の元町公園)に向かって直進したところにあったのですが、当時は、 文芸顧問に「谷崎潤一郎」、撮影所長に「トーマス・栗原」を迎えていました。谷崎潤一郎の妻の妹で、当時18歳になったばかりでしたが、「葉山三千子」という芸名で主演させた、設立後第一作目となる『アマチュア倶楽部』(1920年11月19日)を皮切りに、栗原監督・谷崎脚本コンビの作品を中心に映画を製作していました。

■劇映画のほかに、ドキュメンタリー映画も手がけており、アメリカ映画の輸入・配給をしたり、活動写真館の経営も行っていました。ですが、1922年(大正11年)に、「松竹キネマ」に版権を譲渡し、3月公開作品を最後に映画製作を中止することになってしまいました。その後は、浅草千代田館などの直営館を経営する興行会社として存続していましたが、1927年5月についに会社を解散してしまいます。

■記念すべき第一作『アマチュア倶楽部』に集まった人々にとっては、これが初めての映画体験と言えるでしょう。作家として有名な「谷崎潤一郎」しかり、主演に抜擢された「葉山三千子」しかり、谷崎の妻子である「千代」と「鮎子」はもちろんのこと、スタッフもそうでした。「大正活動映画撮影所」で映画を体験し、後に大成する俳優の「岡田時彦」、大監督となって100本の映画を残す「井上金太郎」も初めての映画の現場を気楽にたのしげに参加していたようです。

■「大正活動映画撮影所」に集まった人々の多くは散り散りになりましたが、多くの方々が映画界に残りました。かつて横浜に存在した映画会社は、大正時代の横浜山下町に本社と撮影所を構え、無声映画を製作および配給した会社でした。ハリウッド俳優のトーマス・栗原と作家の谷崎潤一郎が関わったことで今日でも元町では記憶に残っていることでしょう。映画の製作会社としては短命に終わりましたが、多くの人材を輩出した映画会社でした。

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