元町のご案内

歴史

■外国人相手の商売が元町の始まりとも言えます。元々、元町あたりは、1859年の横浜開港までは、半農半漁の村でだったそうですが、横浜開港に伴って立ち退いた「旧横浜村住民」が移し、山下町・山手周辺に外国人居留地が、関内にはその居留者の業務地ができたそうです。その山下町や山手と関内を結ぶ場所にあった「元町通り」は、居留者らが普段から多く行き交う通りとなっていき、自然と外国人を対象にした商売が盛んに行われるようになったそうです。

明治が始まってしばらく経つ頃には、居留者もかなり増えて、セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジなどのインターナショナルスクールの開校があり、また、当時は日本には珍しい喫茶店やベーカリー、洋服店などが軒を連ね、文明開化を支えるようになったのです。これが今の元町商店街の原型となりました。

こうして大正初期には、「大正活動映画撮影所」の作家もしていたことのある谷崎潤一郎の小説に、「彼ら(西洋人)を相手に商いをする花屋・洋服屋・婦人帽子屋・西洋家具屋・パン屋・カフェ・キュリオシティショップなどが一杯に並んでいる」と表現されるような街となったのです。

■ファッション発信の街としても、元町は全国的に有名ですよね。1970年代に、当時流行したファッションスタイルの「ニュートラ」に対抗して、「ハマトラ」(横浜トラディショナルの略)というファッションカテゴリが元町商店街の「キタムラ」「ミハマ」「フクゾー」などにより発信されたのです。そして、今現在は、横浜・元町は、ファッションの街としての地位を揺ぎ無いものとして、また観光地スポットを多くもつ、多くの人々が年間通して訪れる街となりました。

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